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『古事記』鑑賞。中つ巻。神武天皇。八咫烏の先導。

記紀研究
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原文

於是亦、高木大神之命以覺白之「天神御子、自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今、自天遣八咫烏、故其八咫烏引道、從其立後應幸行。」

故隨其教覺、從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時、作有取魚人。

爾天神御子、問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」答曰「僕者國神、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人、此人押分巖而出來。爾問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂石押分之子。今聞天神御子幸行、故參向耳。」此者吉野國巢之祖。自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。

奧方莫使入幸の「使」と「便」

「使」を取る場合は、奥方に入らせてはいけません。という使役表現になる。

「便」を取る場合は、便(すなわ)ちとなり、すぐ。すぐには入るな。ということとなる。

八咫烏

•「咫」 :アタは上代の長さの単位で、手のひらの下端から中指の先端までの長さ。一説に、親指と中指を開いた長さ 『古事記伝』:頭の八つある鳥。

鴨県主の祖神かどうか。

鴨県主(かものあがたぬし)とは? 意味や使い方 - コトバンク
改訂新版 世界大百科事典 - 鴨県主の用語解説 - 令制前には,上毛野(かみつけぬ)氏の一族の車持氏は,天皇の乗物の挙行(くるまもち)に奉仕し,笠取氏は行幸の際の蓋の挙持に奉仕し,日置氏は灯燭等に奉仕した。鴨氏は山城の葛野(かどの)の県主(鴨県主)で,《下鴨系図》には舒明・皇極朝...

令制前には,上毛野(かみつけぬ)氏の一族の車持氏は,天皇の乗物の挙行(くるまもち)に奉仕し,笠取氏は行幸の際の蓋の挙持に奉仕し,日置氏は灯燭等に奉仕した。鴨氏は山城の葛野(かどの)の県主(鴨県主)で,《下鴨系図》には舒明・皇極朝に久治良が〈殿寮〉に出仕したこと,主水司水部に多数出仕したことが記されている。鴨県主は,葛野の山地から薪炭や氷室の氷を貢納し,一族の者を殿部や水部の前身の伴(とも)として天皇に近侍させたのである。

コトバンクより引用

『古事記伝』では八つの頭の鳥と解する。

岩波の注釈書では「大きな鳥」の意味。

吉野河之河尻(かわじり)

『古事記伝』では「さて今熊野より山越に幸行て、吉野へ出たまはむ地は、なお川上といふべきあたりにこそあらむを、河尻としもいへるは、地理を考えるに、違へるがごとし」と記す。

作筌

和名抄には「筌」にウヘの読みがある。

『古事記伝』ヤナと記す。

川で魚を捕らえる仕掛け。梁(やな)とウヘは異なるとしている。(小学館『古事記』)

贄持之子(にへもつのこ)

神や天皇のための食糧を持参するものの意。(小学館)

」とは食用の魚や鳥。(岩波)

『書紀』には「苞苴担之子」としるしてある。

阿陀之鵜飼

阿陀は奈良県五條市阿田のあたり。

鵜飼(うかひ)は鵜を使って魚を取る職業の部曲(岩波)

井氷鹿(いひか)

光る井戸に住むことからの意(岩波)

吉野國巢之祖

國巢とは広く土着のものをあらわす。後に転じて「クズ」という。

上代にはクニスといひけむを、やや後に音便にてクズとはなれるなるべし(古事記伝)

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