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『古事記』鑑賞と研究。中つ巻。当芸志美美命の反逆。雲とゐ夕さればとは何を意味するか。末子相続制があったか。

記紀研究
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原文

故、天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須氣余理比賣之時、將殺其三弟而謀之間、其御祖伊須氣余理比賣患苦而、以歌令知其御子等、歌曰、

佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須

又歌曰、

宇泥備夜麻 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流

於是其御子聞知而驚、乃爲將殺當藝志美美之時、神沼河耳命、曰其兄神八井耳命「那泥此二字以音汝命、持兵入而、殺當藝志美美。」故、持兵入以將殺之時、手足和那那岐弖此五字以音不得殺。故爾其弟神沼河耳命、乞取其兄所持之兵、入、殺當藝志美美。故亦稱其御名、謂建沼河耳命。

爾神八井命、讓弟建沼河耳命曰「吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲、是以汝命爲上治天下、僕者扶汝命、爲忌人而仕奉也。」故、其日子八井命者、茨田連、手嶋連之祖。神八井耳命者、意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也。神沼河耳命者、治天下也。

凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。

庶兄

まませ、ままねなど。

嫡后

おおきさき

比流波久毛登韋

とゐ:宣長は雲が静まり、そのまま雲として居るとしている。現在は「揺れ動く」の意の動詞として理解されている。武田祐吉博士は「とゐ」を動揺するの動詞とされた。(岩波)万葉巻二の「沖見れば、跡位浪立ち」巻三「跡座(とゐ)浪の、立ち塞ふる道を」などを例証とした。

忌人

いはひひと。身を慎んで吉事を招き求める役。神の加護を願って、身を浄め慎むの意。

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