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『古事記』研究「垂仁天皇」后妃と御子。伊勢神宮の起源と石上神宮の伝承。倭姫命の伊勢神宮への貢献。

記紀研究

伊勢神宮の起源が気になるところです。日本人ならだれでも一度は訪れたい伊勢さん。しかし、文献上での伊勢の起源はといわれると、しっかり答えられない場合も多いのでは。今日は『古事記』の中にある伊勢の起源を、「垂仁天皇」の巻からひも解いてみることにします。

まずは垂仁天皇の本来の名前は、

伊久米伊理毘古伊佐知命、坐師木玉垣宮、治天下也。此天皇、娶沙本毘古命之妹・佐波遲比賣命、生御子、品牟都和氣命。一柱。又娶旦波比古多多須美知宇斯王之女・氷羽州比賣命、生御子、印色之入日子命印色二字以音、次大帶日子淤斯呂和氣命自淤至氣五字以音、次大中津日子命、次倭比賣命、次若木入日子命。五柱。又娶其氷羽州比賣命之弟・沼羽田之入毘賣命、生御子、沼帶別命、次伊賀帶日子命。二柱。

伊久米伊理毘古伊佐知命 :いくめいりびこいさちのみこと 第十一代垂仁天皇。

師木 :磯城とも書く。奈良県桜井市を中心とする地域。

大帶日子淤斯呂和氣命 :景行天皇

続いて、系図が続きますが、ここはさらっと読みましょう。

又娶其沼羽田之入日賣命之弟・阿邪美能伊理毘賣命此女王名以音、生御子、伊許婆夜和氣命、次阿邪美都比賣命。二柱。此二王名以音。又娶大筒木垂根王之女・迦具夜比賣命、生御子、袁邪辨王。一柱。又娶山代大國之淵之女・苅羽田刀辨此二字以音生御子、落別王、次五十日帶日子王、次伊登志別王。伊登志三字以音。又娶其大國之淵之女・弟苅羽田刀辨、生御子、石衝別王、次石衝毘賣命・亦名布多遲能伊理毘賣命。二柱。凡此天皇之御子等、十六王。男王十三、女王三。

次に石上神宮の名前が見え、最後の方に倭姫(比賣命)の名前が見えます。ここが古事記の中の伊勢と関連する記事となります。

故、大帶日子淤斯呂和氣命者、治天下也。御身長、一丈二寸、御脛長、四尺一寸也。次印色入日子命者、作血沼池、又作狹山池、又作日下之高津池。又坐鳥取之河上宮、令作横刀壹仟口、是奉納石上神宮、卽坐其宮、定河上部也。次大中津日子命者、山邊之別、三枝之別、稻木之別、阿太之別、尾張國之三野別、吉備之石无別、許呂母之別、高巢鹿之別、飛鳥君、牟禮之別等祖也。次倭比賣命者、拜祭伊勢大神宮也。次伊許婆夜和氣王者、沙本穴太部之別祖也。次阿邪美都比賣命者、嫁稻瀬毘古王。次落別王者、小月之山君、三川之衣君之祖也。次五十日帶日子王者、春日山君、高志池君、春日部君之祖。次伊登志和氣王者、因無子而、爲子代定伊登部。次石衝別王者、羽咋君、三尾君之祖。次布多遲能伊理毘賣命者、爲倭建命之后。

是奉納石上神宮 :大刀壱千口を作らせて石上神宮に奉納した伝承。

倭比賣命者、拜祭伊勢大神宮也 :伊勢神宮の斎宮となった記事。伊勢神宮の起源(垂仁紀)。ただし、『日本書紀』では天照大神の神霊を奉じて鎮め祭るところを求めて大和、宇陀、近江、美濃をへて伊勢国に至った。となっている。色々なところを転々として、ついにたどり着いたのがこの伊勢というわですね。

倭姫命が伊勢神宮を選んだことの功績が書かれています。倭姫命がどんな人物だったか気になるところですが、相当な神霊的に高い人物であったことが推測されます。

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