さて三月に入り、いよいよ日本へ帰国。
二年ぶりの日本だ。変わったことはあるのか。
胸を膨らませながら、成田へ到着。長い時間の検査や書類への書き込みが待っている。
私は三回接種をしていたこともあってか、1週間の自主隔離となった。
そのまま、ホテルへ直行。
ホテルでの生活が始まる。一週間という長い期間をホテルで過ごすことはそうない。
2年ぶりの帰国
2年間日本の地を踏んでいないこと。長い道のりであった。
韓国国内でしか過ごせない。海外には行けない。もちろん日本へは。
もう二度と日本の地を踏めないのではとも思ったりした。
今年に入り、隔離や入国制限の方針も変わり、こうして日本へ来ることができた。
隔離生活と朝日
ホテルでの生活は不自由はなかった。
食事を買いに、コンビニなどには行くことができた。
ホテルに浴場があったから、好きなだけ入浴を楽しんだ。
一つだけ苦痛だったのが、部屋の狭さだった。体を動かしたり、体操などもできない
狭さだった。外の眺めだけを見つめながら毎日時間が過ぎていく。
朝の目覚め。そして夕刻の時間もすべて同じ角度で、同じ景色を見ながらのものだ。
ちょうど朝日が昇り、そして沈むところまで見える。
なんと贅沢なんだろうか。
ホテルの13階であった。
そこから毎日朝日と夕日を眺めることとなった。
日本に来たこと実感したのは、そんなホテルからの一室の眺めからであった。
朝日のすがすがしさ。
成田山新勝寺へ散策
隔離が終わり、せっかくだから、近くを散歩することにした。
新勝寺だ。
実は初めてではない。以前出張で成田に泊まった時に、一度向かったことがある。
あれから、5~6年ほどたっているように思う。
歩道をゆるやかに歩く。
かなり古いトンネルをくぐる。明治時代のものだろうか。
数分すると、お店が見えてきた。ウナギのお店から定食屋を過ぎる。
お土産の店が迎えてくれる。
かなり大きなお寺だ。人もにぎわっていた。
ようやく日本に来たんだと、ここで初めて感無量になる。
成田山新勝寺
新しく勝つ寺でしょうか。
歴史を辿ると非常に由緒ある寺なのでした。
遡ると、弘法大師空海までという。
ここ新勝寺の本尊は不動明王。この不動明王は空海が祈りを込めて敬刻開眼した本尊であるという。ここで祈祷される護摩祈祷は空海が唐から伝来した真言密教の教えを実践しているのであった。
「成田山お不動さま」と呼ばれている。
空海は「悟りはこの身のまま悟れる」と説いた。
あの源頼朝の祖父である源頼義が本堂を再建している。そして平氏追討の命が下りると、成田山で祈願をしたという。
こんな背景をもつ、成田山新勝寺
境内も大きく迫力があった。
仁王門から入り、階段を上ると、大本堂。そして三十塔が迎えてくれる。
新勝寺にまつわる歴史やそれにかかわった人物に関しての歴史を
わかりやすく解説している光輪閣はありがたかった。
すぐ横は成田山公園があり、軽く散策するのにも適している。
京の都から離れたこの地に
空海や真言密教との深いかかわりあいのあるお寺があるとは。
成田付近で宿泊のときは必ず立ち寄るべきお寺ではないかと思う。
隔離から解放された後の寺院の訪問は格別であった。
関東といえば今は東京
だが、数百年前はどうだったのか。
成田という地
ここはもしかしたら、仏道を悟れる聖なる地であったのである。
成田。
私はここに久しぶりの日本の地で、
歴史の重さを味わうこととなる。
日本の仏教の歴史。
それは、もしかしたら、成田や関東の地で
開かれたものがあったのではないか。
寺院巡りは格別に、自らの浄化をさせてくれる時である。
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