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【古事記】を読もう。鑑賞と研究:倭建命(やまとたけるのみこと)を読む。望郷の歌と解釈。死を前に国偲歌を歌った境地。

記紀研究

倭建命(やまとたけるのみこと)の部分は古事記の中でも文学性が高いところとして知られる。古事記を文学として味わうために、倭建命の望郷の歌を中心に解釈をすすめたい。

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「勾」の解釈から

自其地幸、到三重村之時、亦詔之「吾足、如三重勾而甚疲。」故、號其地謂三重。自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰、

「自其地幸、到三重村之時」

「そこよりいでまして、三重の村に到りし時に、」と解釈できる。まず、三重の村であるが、三重県四日市采女(うねめ)町の地という(小学館)。地名は非常に難しい。そこがどこに当たるのか、三重の村がどこにあったのか。三重となっているがゆえに、「三重県」となるのであろうか。宣長の『古事記伝』でも三重の采女(うねめ)としている。ちなみに、采女とは古代、軍の少領以上の家族から選んで奉仕させた後宮の女官。律令制では水司・膳司に配属。とある。この地は采女を輩出したところであろうか。三重という地にどこか魅力を感じてしまう。古事記の編者は「三重」の地を倭建命の飛翔の地と選んだところに何か意味がありそうだ。

次に亦詔之「吾足、如三重勾而甚疲。」故、號其地謂三重。に移る。「吾が足は、三重にまがれるが如くして、甚だ疲れたりとのりたまひき。」と新編日本古典文学全集の古事記にはある。今後はこの小学館の「新編日本古典文学全集」をテキストとしながら進める。「私の足は、三重に折れるようになって、ひどく疲れた」となるだろう。この「三重にまがれる」であるが、原文は

「如三重勾而」となっている。勾玉の勾の字をどう解釈するのか。

「如三重勾而」について

①講談社:勾餅(まがりもち)のことなっている。この餅はほら貝の形をした餅を油であげたもの。しかし、「如三重勾而」の意味は明らかではないとする。餅とここで関係がどうしてあるのか、不思議になりますよね。『古事記伝』ではほら貝の形に似ているから、勾という名前だとしている。さらに、すべての形の曲がれるよし(由来)の喩にはあらずとしている。宣長は”いかに歩み疲れても、足は曲がるものではない”と追加説明している。

②岩波書店:「道の曲がり」とは解せないだろうかとしながら、道が幾曲がりをしているように、足がへなへなになっていの意味ではないかとしている。

だいたいこの二つに解釈が分かれているようだ。読者はどのように考えるだろうか。結局「曲がる」ということと、「足が疲れる」がつながるかどうかであろうが。

足が疲れると、足腰が曲がることはありうる。文学性という観点から考えると、ここで「餅」が登場することもありうる。しかし

その後に、「そこを名付けて、三重という」となっているところから、やはり、足が三重のように曲がってしまったといいたいところなのであろう。

実際、三重という地名を出したのも、ミコトが疲れ疲弊している場面をより効果を引き出すための表現の一つとも考えられる。

「自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰」

「そこよりいでまして、能煩野にいたりし時に、国を偲びて歌いいはく」

能煩野であるが、ここはどこをさすか。鈴鹿山脈の野登山(ののぼりやま)のふもとにある。

倭建命の伝説の地が多いという。(新潮日本古典集成) 

さて、梅原猛は「この足の曲がってしまった話を、西宮一民氏が、ミコトが白鳥に化身する伏線だと」指摘していることを、引用に賛同している。倭建命が徐々に白鳥になっていくことの過程が描かれているというのである。

国思歌と大和

ここに「古事記」の文学性がいかんなく発揮されている。最近思う。古事記は何度か読み直しながら、繰り返しつつ、重要な箇所を何度も読み返す。これが必要だと思った。

それでは彼が去ろうとしている、この世や地上そして故郷は何か。それを置き去りにしてかなければあんらない、無念の思いがある。行くところは空しかなかった。

彼はすでにこんな思いを発している。

「吾心恒念、自虛翔行。然今吾足不得步、成當藝當藝斯玖。」常に空を駆け巡る気持ちをもっている。もう足は歩けなくなってきている。と。

生きてなんとか、自らの使命や寿命を全うしようとしている。しかし、病にかかってしまった身では、思うように体は動かない。

われわれもこんな時がないであろうか。思いもしない、「病」「体の不調」などで、どうしようもない現実。だれからも見放されてしまったような感覚。倭建命は現代のわれわれの姿を代弁しているように、地上や故郷への未練を絶とうと努力している。

そして次の歌が発せられる。

夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

「大和は国の中でもっともうるわしいところだ。重なり合った青い垣根の山、その中にこもっている大和は、美しい」

大和(日本)の賛美が続く。この日本の景色。私も海外に行くと、日本の景色は海外のどこにもない、素晴らしい、人を包み込む癒しの世界があると感じる。

 古(いにしえ)より、日本の景色は、人の死を前にして、国思歌(くにしのひのうた)を奏でさせる世界であったのではないか。

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