円珍が唐留学の帰途、嵐の中であった神。それが新羅明神だという。神は円珍に仏法を守るかわりに、近江の地で私を安置することをお告げした。
円珍は日本に帰国すると、三井寺の再建にかかり、さらに新羅善神堂にこの「カミ」つまり新羅明神を祀った。
一体新羅明神とは何か。新羅というからには、新羅の神であることは推測される。
新羅善神堂には「新羅明神像」が祀られ、非公開の秘仏となっている。一説によると、祟りがあったとか。
まずは三井寺をみてみよう。
三井寺について
三井寺、園城寺は天台寺門宗の総本山である。
もとは、壬申の乱で大海人皇子に敗れた悲劇の皇子、大友皇子を祀った寺であった。あるいは、皇子の父である天智天皇を祀ったものともいう。
このことから、非常に怨念を説くための寺社であったことがわかる。この辺りは、もちろ大友皇子の勢力下にあったことは間違いない。が興味深いのは、渡来氏族の大友村主氏が勢力をはっていたとされる。(井上光郎『渡来人』)
新羅系の遺物やオンドルの跡が発掘されているのはそれを裏付けている。天智天皇や天武天皇も渡来の子孫であるという指摘も多い。
新羅と百済の代理戦争がまさに壬申の乱であったという説もある。新羅明神の啓示から、円珍がこの地を選んだことは、新羅と関係があるといえそうである。
新羅善神堂について
この三井寺から500メートル北にいったところに、新羅善神堂はある。ここは三井寺の一部で北院ともいう。しかし、辺りはひっそりしている。
以前はただの山や森であったのではないかといわれる。つまり、ここに祠や祖先神を祀る区域があり、徐々に三井寺に発展していった可能性も見いだせそうである。
滋賀や京都などは、古代からの戦乱や戦さの多かったところであり、その後それらの霊魂を祀る場所は非常に多かったのであった。明治以降の神仏分離令などで、徐々に整理されていったといえよう。
この新羅善神堂はもしかしたら、「新羅寺」「新羅神社」という名前それとも、新羅の渡来人が祖先神をまつる祠などがあったとも考えられる。
そしてさらに注目すべきは、武田家の甲斐源氏の祖となっている源義光がここで元服式をしていることだ。かれは
新羅三郎義光と命名しているのである。
新羅明神と武家の守護神がつながるのであろうか。
非常に複雑きわまりなく、迷路にはいっているようである。日本の神々は色々なものを受け入れながら、それによって民衆や武士に受け入れやすくなっていった。
それでも何らかの根拠があって、武家と新羅の神は結びつくものではないか。
新羅明神像とは
新羅明神像がここで祀られている。しかし秘仏であり、公開はされていない。数年前に公開された、写真をもとに話をすすめると、
目は垂れ下がり、鼻は高く、白塗りの顔だ。どこか、人間離れしている。何かをさばくような印象もある。
そして帽子をかぶっている。ある説によると、この帽子は当時の朝鮮半島での貴族の帽子、程子冠(チョンジャカン)ではないかという。
帽子はその人の地位や位を表していた。特に古代においてはそうであろう。
この姿が、円珍が海上の嵐の中でであった「カミ」の姿であったのであろうか。
もしかしたら、唐にわたったときの新羅人の高官や居住者の姿だった可能性もある。
私宅仏教と弥勒信仰
以上のことから、もう一度この神の性格を整理したい。
1)護法神:円珍に仏法を守ると約束していることから、仏の教えを守る神であることがわかる。そうなると、神仏の習合のケースが考えられる。
2) 守護神:源義光の元服によってこの神は武田家や武家の守護神となる。武家が関係してくる。
3)三井寺や新羅善神堂の前身が渡来の祠や社。特に新羅の渡来人の居住地域を考慮する。
大和岩雄氏は『秦氏の研究』の中で、円珍が出会った神は「弥勒菩薩」と指摘している。新羅の仏教は公伝ではなく、私宅つまり民間によって伝えられた、民間信仰であるという。特に弥勒信仰は民間で受け入れやすかった。
では新羅の弥勒信仰とはどのようなものだったのか。これは
花郎(ファラン)という成年男子がもっとも弥勒の化身として信じられていたということに注目できる。
そして太子信仰というものが、この弥勒信仰からきている。太子とは、弥勒の化身や生まれ変わりというものだ。
さらにこれが民間信仰や道教とつながり、彼らは修行を重ね、自然の中で武道や精神修行などもおこなっていく。
このことから、日本の武道や武家の守護神となることにつながるともいえよう。大友皇子や新羅三郎義光も若い青年男子ということからも、新羅の弥勒信仰から影響をされていることは考えられる。
当時の9世紀から中世にかけて、末法の世となる。がそれを救う弥勒の登場は非常に民衆から受け入れられたことは予想される。
三井寺や近江国で、新羅の神が徐々に力を増してくる。そして神仏習合などを繰り返しながら、日本の仏教も大きな力となり、武士はそれを守護神としていく。
新羅明神は非常に普遍的な神であったのではないであろうか。
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