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【古事記】を読もう。鑑賞と研究:倭建命(やまとたけるのみこと)を読む。望郷の歌2。思国歌(くにしのひうた)。

記紀研究

今回は倭建命が死を前にして歌ったいわゆる望郷の歌、国偲びの歌を中心に見てみよう。

原文は以下である。物語りはよく知られているが、原文をしっかり確認することで、また味わいもでてくる。原文は以下である。

伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古

此歌者、思國歌也。又歌曰、

波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母

此者片歌也。此時御病甚急、爾御歌曰、

袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜

歌竟卽崩。爾貢上驛使。

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伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古

まず最初に「命の全けむ人は」をどう解釈するかであるが。命に係わるという意味から、命が完全である、つまり丈夫な人となるでないだろうか。あるいは若者ともいえる。漢字から考えられるのは完全な人。成人という意味でもあろうか。

次に「畳薦(たたみこも)」。薦とは菰とも書き、わらやむしろとなり、真菰で編んだ敷物を重ねること(新潮日本古典集成)。「平群(へぐり)」の枕詞。編んだものを一重(ひとへ)、二重(ふたへ)と数えるところから。梅原猛は幾重にも山に囲まれた、と現代語に訳している。

「熊樫」は大きな樫の木と解釈することで、「大きな樫の木の葉を」となる。

「宇受爾佐勢」は「うずにさせ」となる。「うず」はかざし。かんざしに刺すがよい。となる。

かんざしに関しては、”生命力を感染させるための呪術”と講談社文庫では解釈している。新潮社では”長寿と豊穣の呪術”と解している。

波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母

「波斯祁夜斯」は「愛しけやし」でなつかしいと解するのが一般的だ。

なつかしい、私の家の方から雲が立ちこもっているなあ。となるだろうか。

この雲居という表現で宣長は「常に雲の居るところをいえども、古はまたただに雲を言うことも多し」としている。雲という解釈と雲のあるところと解釈できそうである。

此時御病甚急、

この時に、御病(みやまひ)、甚(いと)急(には)かになり。であり、「急」を死の時が迫ったということと解釈するのだろう。危篤状態となったともなる。ただ急ぐという漢字からすると、非常に切迫した状態も感じれる。病状が悪化するのが速いのだろうか。

そして御逝の歌が続く。

袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜

嬢子(おとめ)の 床の辺に 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや となる。

この嬢子(おとめ)は美夜受比売(みやずひめ)のこと。剣の大刀は草なぎの剣である。「あづまはや」の「はや」と同じ。ここは詠嘆となる。

ここで注目すべきは、倭建命の心が、美夜受比売(みやずひめ)と同時に、大刀は草なぎの剣にまで及んでいること。宣長はここで、「御子の御霊は、とこしへに此の御大刀に留まり坐ことを思ひて、熱田社をなほざりにな思ひまつりそ」と言い、御霊が御大刀に鎮まっていることを強調している。

最終的に草なぎの剣に後々御霊が鎮まることを予感させるものだ。

 

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