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【古事記】を読もう。鑑賞と研究:倭建命(やまとたけるのみこと)を読む。八尋の白千鳥。「いさよふ」ということ。

記紀研究

望郷の歌を終え、危篤状態となる倭建命。

ついに亡き人となった命。

白鳥となって天に飛んでいく。それを追う后たち。

まずは原文を見ていこう。

於是化八尋白智鳥、翔天而向濱飛行。智字以音。爾其后及御子等、於其小竹之苅杙、雖足䠊破、忘其痛以哭追。此時歌曰、

阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那

又入其海鹽而、那豆美此三字以音行時歌曰、

宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波伊佐用布

又飛、居其礒之時歌曰、

波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布

是四歌者、皆歌其御葬也。故至今其歌者、歌天皇之大御葬也。

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於是化八尋白智鳥、翔天而向濱飛行。

白智鳥とは何か。白い千鳥なのか、白鳥なのかの説に分かれる。書紀は「白鳥」となっている。記伝では「白鳥」と解している。しかし、後に濱つ千鳥があるので、「千鳥」と解する方が自然なのであろう。

於其小竹之苅杙、雖足䠊破、忘其痛以哭追

小竹(しの)苅杙(かりくひ):切り株。小竹(しの)を古事記伝には「細き竹にても、薄(すすき)などの類にてもあるべし」としている。苅杙(かりくひ)は俗に刈り株と云是なり(古事記伝)

雖足䠊破:足を䠊(き)り、破れども。足を切り傷つけたけど。切断ではない(古事記伝)

忘其痛以哭追:その痛みを忘れて、哭き追ひき。

阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那

浅茅ノ原 腰泥む 空は行かず 足よ行くな(「小学館」)

許斯那豆牟(腰泥む):道もなく、小竹(しぬ)の腰まで、深く生茂りたる中を分給ふさまにて、すがすがとも行きやられず、滞り煩(なず)み賜うなり(古事記伝)。なずむは本来水につかって進めない意。

又入其海鹽而、那豆美此三字以音行時歌曰、

海鹽:うしほ(海塩) うしほの中までつかっている様子(古事記伝)。海水の干満。

那豆美:なづみ。水のために進めないのが「なづむ」(小学館)

宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波伊佐用布

宇美賀:海がの「が」は所の意味(古事記伝)。海を行くと。

許斯那豆牟:腰まで水につかって(なかなか進めない)

意富迦波良能:大河原之。かくてここは、水中を河原という(古事記伝)。また『古事記伝』は「水中も河原という例が多い」といっている。広く河原の水面(小学館)。新潮社では「広々とした河」としている。

宇惠具佐:古事記伝は「植草(うえぐさ)なり、生えるを植というなり」としている。小学館では「生えている草、浮草をいう」としている。

宇美賀波伊佐用布:うみがは いさよふ:ここで「いさよふ」であるが、『古事記伝』では「たゆたふと似て、行く先へ進まずためらひやすらふの意」としている。ただ「たふたふは、雲などにひは、こなた彼方へただよひて、専らひとかたまりに定まりては進まゆかざるの意、(省略)いさよふは、ただやすいらひて進まざる意のみにして」としている。小学館では「その草のさまは、そのまま「なづむ」后たちと重なる」と指摘する。

又飛、居其礒之時歌曰、

千鳥が飛んで行って、その磯にいたときに、歌っていうには、磯:岩や石の多い水辺。

波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布

波麻都知登理:浜つ千鳥。後に濱千鳥という(古事記伝)。

波麻用波由迦受:浜よは行かず。濱よりは行かず(古事記伝)。

伊蘇豆多布:磯づたふ。「浜は砂地の海岸。磯は岩の多い波打ち際。歩きやすい浜ではなく、歩きやすい磯をいくことよ、という嘆き」(小学館より)。

是四歌者、皆歌其御葬也。

御葬:みはぶりうた。 

故至今其歌者、歌天皇之大御葬也。

歌天皇之大御葬也:すめらみこと(天皇)のおおみはぶりに歌うぞ。

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