故自其國飛翔行、留河內國之志幾、故於其地作御陵鎭坐也、卽號其御陵、謂白鳥御陵也。然亦自其地更翔天以飛行。凡此倭建命、平國廻行之時、久米直之祖・名七拳脛、恒爲膳夫、以從仕奉也。
故自其國飛翔行、留河內國之志幾
かれ、その国より飛びかけり行きて、河内(かふち)の国の志幾(しき)に留りき。
その国:どこか。伊勢((小学館)。
志幾(しき):どこか。
故於其地作御陵鎭坐也、卽號其御陵、謂白鳥御陵也。
かれ、そこに御陵(みはか)を作りて鎮めいませき。すなわちその御陵を号けて白鳥の陵(みささぎ)という。
白鳥御陵とはどこか。白鳥伝説の地がおおい。
然亦自其地更翔天以飛行。
しかれども、また、そこより更に天(あめ)に翔りて飛び行き来。「死にたる人の霊の、この世に物することを、天がけりてしかしかいう」(古事記伝)。
凡此倭建命、平國廻行之時
おおよそ、この倭建命の国を平らげに廻り行きし時に、
平:むける(古事記伝)と読んでいる。平定する。
久米直之祖・名七拳脛、恒爲膳夫、以從仕奉也。
どうしてここで、膳夫(かしはて)が述べれれているのか。かしはの葉を皿にしていたからか。
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