自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天神御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」故、明將打其土雲之歌曰、
意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯
如此歌而、拔刀一時打殺也。
然後、將擊登美毘古之時、歌曰、
美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟
又歌曰、
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟
又歌曰、
加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟
又擊兄師木・弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、
多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥
故爾、邇藝速日命參赴、白於天神御子「聞天神御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。
故、如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。
土雲(つちぐも)
足が長く、いかにも穴倉に住む異形の人を連想させる。(新潮社) 岩窟土室などに住んで、人をそこない残暴ぶるたけるどもを、蜘蛛に准えて、名付けられた。(古事記伝)
待伊那流(まちいなる)
待ち構えてほえていた。(新潮社) 「イ」は叫び声を表す擬声語、「ナル(鳴)」で、唸り声をあげるの意か。(小学館)。獣の怒りてほえるをうなると云う(古事記伝)。
久夫都都伊(くぶつつい) 伊斯都都(いしつつい)
柄頭が槌のような形をした大刀と解すべきであろう。(岩波) つついは槌ということなり。(古事記伝)
今撃たばよらし
よらしはよろしと同じ。a~oの母音交代の例は多い。(古事記伝、補注)
美都美都斯(みつみつし)
いかにも勢いが強いの意。ミツ(厳)は、イツ(厳)と同源(小学館)。久米の枕詞なり。(古事記伝)。満つ満つし、御稜威しの意などと解かれているが未詳。(岩波)
阿波布(あはふ:粟生)
粟畑、フ(生)は植物の群生の意(小学館)
賀美良比登母登(かみらひともと)
ミラは韮(にら)の古名(講談社文庫)。
曾泥賀母登 曾泥米
そねがもと そねめ:「ね」は「の」の転音とみて、そのが茎と解せられないことはない。(岩波)宣長はこれについては否定している。『古事記伝』では其根之茎、其根芽と解する。
これはかなり難解であるようだ。
那藝弖(つなぎて)
追い求めて。(小学館) 敵を術つなぎで殺す(新潮社)。根はとみびこを例えて、みなゆるさず、もらさず、ことごとに撃ち滅ぼすこと。
母登富呂布(もとろふ)
もとほるはめぐるを云(古事記伝)。もとほるの「ふ」は継続の意。纏(マツハル)と同源。
志多陀美(しだたみ)細螺
小形の巻貝でコシダカガンガラという。(講談社文庫)
http://www.tannowa.or.jp/shell_fish/gangara.html
多多那米弖 伊那佐能夜麻能(たたなめて いさなのやまの)
盾を並べて射るの意から、次の 伊那佐のイに係る枕詞とも、実際に盾を並べての意とも解される。(岩波書店)
許能麻用母(この間よも)
よもの「よ」は通って、よりという意味。書記には「ゆ」とも使用されている。
伊由岐麻毛良比 (い行き目守らひ)
マモラフは動詞マモルに継続の「フ」がついた形。マモルはじっと見るの意。(小学館)
和禮波夜惠奴 (われわやえぬ)
「や」はいよいよの副詞(小学館)。「や」は嘆詞なり(古事記伝)。「えぬ」は飢えるのこと。
邇藝速日命
書記には「櫛玉饒速日尊(くしたまにぎはやひのみこと)」と記し、天の磐船に乗って天降ったと伝えている。物部氏の祖神。(講談社文庫) 「 饒 」は豊か、おおいにある、充分とう意味。
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