ファナム

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記紀研究

【古事記】を読もう。鑑賞と研究:倭建命(やまとたけるのみこと)を読む。望郷の歌と解釈。死を前に国偲歌を歌った境地。

倭建命(やまとたけるのみこと)の部分は古事記の中でも文学性が高いところとして知られる。古事記を文学として味わうために、倭建命の望郷の歌を中心に解釈をすすめたい。 「勾」の解釈から 自其地幸、到三重村之時、亦詔之...
歴史考察

慈覚大師:円仁の『入唐求法巡礼行記』から見た統一新羅の海神(ヘシン)【張 保皐(宝高)】チャンボゴと赤山明神の正体

統一新羅の末期にアジアの貿易に大きく影響を与えてた海の王張宝高(チャンボゴ)。彼に関する資料は少ないのです。彼の幼少期や青年期などの資料はまったくない。突然新羅の政治に登場してくる、不可解な人物でもあります。 しかし、彼を評...
歴史考察

新羅の海洋王【張 保皐(宝高)】チャンボゴの軌跡を追う。彼はいったい誰なのか。

韓国の歴史の中で新羅という時代は、韓国の観光地慶州や韓国歴史ドラマを通して馴染みぶかくなっている。また、日本にも新羅という名のついた神社や記紀に記録されていることから、韓国の古代史を語る上で欠かせない時代である。 さてこの時...
歴史考察

【高麗時代】後百済の甄萱(견훤:キョン・ホン)と新羅末期の半島情勢:昨日の敵は今日の友!

今日は後三国時代(統一新羅の末期)の中の一つ「後百済」を建国した甄萱(キョンホン)について解説したいと思います。 副題として「昨日の敵は今日の友」と題して進めます。ここでは友ではなく、「尚父」として師や父のように敬いますという言葉を...
歴史考察

任那(みまな)とはどこを指すのか。半島南部での候補地から考える。日本書紀の記録から『宋書』倭国伝まで。

任那(みまな)とは不思議である。古代史における任那をどこに指定するのか。具体的には定まっていないようだ。 それでも、朝鮮半島の南部であり、伽耶諸国を表しているということでは一致しているようだ。その一つの候補が金官伽耶である。伽耶が小...
歴史考察

任那(みまな)日本府とは何か。倭の出先機関か、それとも外交使臣なのか。

日本と韓国の古代史において非常に厄介でかつ解釈に困難を期しているものがある。それが「任那」である。日本語では「みまな」といい韓国語では「いんな」という。 私は幼いころ、教科書でこの部分を目にして非常に印象深かった記憶がある。日本と朝...
書評と解説

書籍レビュー『50歳から花開く人、50歳で止まる人』人生後半は遊ぶように生きていく!

私は最近書店には行かない。いや行く暇があまりなかったといっていい。引っ越しやら、転職やらで時間がゆっくりした時間が取れなかったことも事実である。 それでも人の習慣は恐ろしい。書店に行かないと、人生の楽しみが見いだせず、自分がなぜか後...
歴史考察

朝鮮王朝最後の王:純宗(スンジョン)から王位は継承されたのか。純宗の異母弟李垠(イ・ウン)は日本の皇室と政略結婚。これが意味するものは何か?

私はユーチューブで朝鮮王朝を一代から27代まで順に解説を試みた。事実、朝鮮に関することは、専門家でもなく、まただれかに教わったものだもない、初心者の立場からの出発であった。そしていよいよ、最終章といわれる、27代の王、純宗(スンジョン)へ...
史跡踏査

高句麗の王子:若光(ジャッコウ)が聖地と定めた高麗郡。高麗神社を訪ねる旅。

日本に来て行きたかったところがある。 それは、高麗(こま)神社である。 高麗(こま)とは古代朝鮮半島にあった「高句麗」のこと 高句麗の王子であった若光という人物が この地を聖地とさだめ、多くの技術を広めたという。 ...
研究生活

在野の研究生活はどのように果たすのか。職場と研究の両立。

日本に帰国してから、さてどのように研究生活を維持していくか。よくよく考えてみた。 やはり生活に追われる毎日であることは、予想はしていたが、 研究したり、読書する時間を取るのは結構難しい。 何よりも生活が優先であり、衣食住...
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