歴史考察

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歴史考察

【高麗の歴史】高麗15代王の粛宗(スクチョン)の治世と高麗の全盛期の陰り。

甥である14代献宗(ホンジョン)から王権を奪う 高麗の王位継承の伝統は 兄弟相続であった。 しかし、高麗王13代の宣宗(ソンジョン)は、死の間際に 子供の献宗(ホンジョン)に譲ってしまう。 献宗はその...
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統一新羅の伝承『處容郞(チョヨンラン)』から見る韓国の舞踊文化と疫神への対応。

朝鮮の伝承を集めた三国遺事に疫病を退治する話しがある。『處容郞(チョヨンラン)』という人物の伝承だ。時代は統一新羅の末期。49代の憲康王の御代だ。 憲康王はとても努力家で、頭も明晰、それによってかこの時代は新羅の末期にもかか...
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智証大師:円珍が出会った新羅明神とはどんな神であったのか。末法の世に現れた「カミ」。武家の守護神ともなる。

円珍が唐留学の帰途、嵐の中であった神。それが新羅明神だという。神は円珍に仏法を守るかわりに、近江の地で私を安置することをお告げした。 円珍は日本に帰国すると、三井寺の再建にかかり、さらに新羅善神堂にこの「カミ」つまり新羅明神...
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慈覚大師:円仁の『入唐求法巡礼行記』から見た統一新羅の海神(ヘシン)【張 保皐(宝高)】チャンボゴと赤山明神の正体

統一新羅の末期にアジアの貿易に大きく影響を与えてた海の王張宝高(チャンボゴ)。彼に関する資料は少ないのです。彼の幼少期や青年期などの資料はまったくない。突然新羅の政治に登場してくる、不可解な人物でもあります。 しかし、彼を評...
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新羅の海洋王【張 保皐(宝高)】チャンボゴの軌跡を追う。彼はいったい誰なのか。

韓国の歴史の中で新羅という時代は、韓国の観光地慶州や韓国歴史ドラマを通して馴染みぶかくなっている。また、日本にも新羅という名のついた神社や記紀に記録されていることから、韓国の古代史を語る上で欠かせない時代である。 さてこの時...
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【高麗時代】後百済の甄萱(견훤:キョン・ホン)と新羅末期の半島情勢:昨日の敵は今日の友!

今日は後三国時代(統一新羅の末期)の中の一つ「後百済」を建国した甄萱(キョンホン)について解説したいと思います。 副題として「昨日の敵は今日の友」と題して進めます。ここでは友ではなく、「尚父」として師や父のように敬いますという言葉を...
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任那(みまな)とはどこを指すのか。半島南部での候補地から考える。日本書紀の記録から『宋書』倭国伝まで。

任那(みまな)とは不思議である。古代史における任那をどこに指定するのか。具体的には定まっていないようだ。 それでも、朝鮮半島の南部であり、伽耶諸国を表しているということでは一致しているようだ。その一つの候補が金官伽耶である。伽耶が小...
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任那(みまな)日本府とは何か。倭の出先機関か、それとも外交使臣なのか。

日本と韓国の古代史において非常に厄介でかつ解釈に困難を期しているものがある。それが「任那」である。日本語では「みまな」といい韓国語では「いんな」という。 私は幼いころ、教科書でこの部分を目にして非常に印象深かった記憶がある。日本と朝...
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朝鮮王朝最後の王:純宗(スンジョン)から王位は継承されたのか。純宗の異母弟李垠(イ・ウン)は日本の皇室と政略結婚。これが意味するものは何か?

私はユーチューブで朝鮮王朝を一代から27代まで順に解説を試みた。事実、朝鮮に関することは、専門家でもなく、まただれかに教わったものだもない、初心者の立場からの出発であった。そしていよいよ、最終章といわれる、27代の王、純宗(スンジョン)へ...
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朝鮮王朝26代王:高宗(コジョン)とその時代。鎖国と開化の狭間で。日本の近代化と朝鮮の鎖国。今我々は何を見るのか。日本へのまなざしを分析する。

私は韓国の近代化を考える。果たして近代とは何であったのか。 日本は近代を開化つまり開国によって、西洋の列強の先進文化を受け入れ 近代化を図ったという。 その反面、朝鮮はどうだったのか。 朝鮮は日本とは逆に鎖国に終始...
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